ケイの日記

自由気ままに書き綴る

Twitterの文字数だと足りない…

他人に完璧であること(外見から中身まで)を求める人がいるけど、完璧人間が気持ち悪いと思うのは私だけなのだろうか?

たしかにこの世の中には勉強も運動もできる人(更には外見も良くて外面の性格もいいのかもしれない)はいる。しかし、そのような人もどこかしら欠点がある。だから人から嫌われることが少ない。また、人間として成長できる。非の打ち所のない人間(いないと信じている)はまったく取り柄のない人間(たぶんいないが…)と同様嫌われることが多いと思う。後者はまぁ、理由を説明する必要はないだろう。前者は非の打ち所がない完璧超人なんて「人間らしく」ないという理由だ。見た目が精巧なロボットに嫌悪感を示すあれだ。

逆に何かを極め過ぎてほかがダメダメ(一般的人間未満を指す)なのもあまりよろしくない。私の中学校の同級生を例に書こう。
彼(Aとする)は非常に学校の成績が良い。成績では私の想像だが、国数英社理はオール5だろう。しかし、Aはあまり人から好かれていなかった。成績がいい人を同級生が妬むというレベルではない。教員からの評判もよくなかった。この言葉は個人的に好きだから使わせてもらうが、唯我独尊である。性格云々以前に人間性に問題があった。Aは成績は上昇し続けただろう。しかし、私の中で彼は人間としての成長が止まっていた。ところで
学校は成績という外面しか数値化できないため、彼は某高校理数科へ進んだ(私がその学校を選ばなかった一番の理由)。
と、回想はここまでにしておく。

自分が成長したいのであれば「人間らしさ」が必要である。人間がほかの動物と違いしっかり文明を開拓できた理由は助け合いができたことであると思う。完璧超人がいたなら助け合いなんて必要ないし、ただの独裁となりうる。独裁者はいずれ嫌われると言われる(実際はどうなんだろう?)。しかし、その超人が消えた瞬間文明は崩壊する(と私は思っている)。

協力し切磋琢磨することで人間は成長することができるのだと思う。

長々と柄でもなく道徳論を語ってしまった。